なぜこんなに海外に旅行するのかといえば、外国に行くと「自分がいかにつまらない存在か」ということを思いださせてもらえることが多々あるからです。
(中略)
旅することのメリットは、自分もまた地球上の生物の一個体にすぎないということを体感できることです。地球上にはあまりに多くの人が存在していて、自分ひとりいようがいまいが何の影響もありません。特別な存在でも特別な人生でもないのです。
ちきりん ゆるく考えよう 人生を100倍ラクにする思考法 より
大好きなちきりんさんの著書より。なんで海外に行った方がいいのか、みたいな論争は色々あるとは思いますが、私もまったく同じようなことを考えていたので、もう大共感の嵐です。
生きているのではなく、生かされているだけ
私もお恥ずかしながら29歳にしてはじめて海外に行きました。アメリカに3ヶ月ほどいて、様々な知人の家を渡り歩きました。
ロサンゼルスからテキサスへと移動するアムトラックの車内からテキサスの広大な荒野を眺めている時に思ったのは、「こんな荒野に放り出されたとしたら何もできない。誰にも気づいてもらえない。たぶん勝手に死ぬ。結局そんなもんなんだ。」ということです。
私はいつしか自分の力で生きていると勘違いしていました。ただ、自然に生かされているだけなのに。しかもそれは、たぶん、私だけじゃなく、人類みんなそうなのに、そんなことにも気づかないで自分が生きている世界や組織やコミュニティに自分の全てを支配されて、そこでの自分がすべてかのように振る舞い、生きている。
日本の景色はもちろん美しいけど、国土がそんなにあるわけではないので、奥行きに対して、はっとするようなことはないのですが、アメリカの場合は違かった。ずっと見ていたらなんだか恐怖に感じるくらいの奥行きがある。それが果てしない。吸い込まれそうになる。
コロラドの山脈に対してもそう思いました。どんなに地位や名声があっても、たぶん、あの山々の中にいたらもう関係ない。何もできない。無力。ちっぽけ。そんなところです。
「人ってしょうもないな。」それはネガティブな意味ではなく、だから自分の好きなように、勝手に、生きていいじゃないかって思えるってことです。しょうもないなら、しょうもないなりに、誰かをちょっぴり幸せにしたり、自分をちょっぴり幸せにしたり、そういう生き方でいいんだと思える。
しかもこれは、本当に、自分で行かないとわからない。どんだけネットに情報が溢れていても、写真や動画で触れたとしても、これは絶対に同じ感動を得られない。人の体験談でも伝えられない。もうこれは絶対です。VRだったらいいのかな。いやでもその時肌に触れる空気や自分の鼻から吸う息、色んなものの複合だから、たぶん無理です。
マイノリティであるという実感
それともう一つ感じることは、一歩違う文化や人種の中に入れば自分は少数派、明らかに周りと違う、という実感が得られることです。何気ないけど、これって重要なことなのかなと思います。私は基本的に色んなことがマイノリティなので、海外に行って初めて実感したわけではないですが、でもまた違う種類の「あー周りとは違うな」という感覚。私は経験しなかったですが、それによる差別や迫害を受けるケースもあると思います。ただ、大切なのはその感覚の中でちょっといづらさを感じたり、視線を感じたり、対応の違いを感じたり、なんでもいいけどそういう経験なのかなとも思います。
大多数の中では感じれないことがある。普段いかに自分が周りの環境に恩恵を受けているかは国内にいてはなかなか感じないことだと思います。それを感じることで自分って実はなんでもない人間だと良い意味で思えたり、マイノリティの生きづらさに気付けたり、文化やルールはただの枠組みでしかないことに気付いたりできると思うんです。
だから普段自分がマイノリティの経験をしたことがなく、かつ少数派の意見や運動(ジェンダー平等やLGBTQなど)を否定したり、批判する人はそういう経験をした方がいいと思います。だって、そういう人はマイノリティがなぜそういう行動をするかをたぶん理解できていないし、結局誰かを傷つけるから。
別に海外に行かなくとも、別の経験で代替可能だったり、経験をしなくとも人の気持ちや行動に理解を示し、受け入れ、寄り添うことができることも可能なので、それがすべてとも思いませんが、一つの方法論としては非常にありなんじゃないかなと思います。




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