結局教育者とは

人生

おはようございます、コツ子です。

職業訓練受講中ニート、頑張っています。

朝活って気持ちいいね、なんだか続けられそう。

昨日はプレゼン資料作成の授業だったのですが、先生と生徒に褒めていただいてちょっと嬉しかった。

私のパワポセンスというか、資料作成センスが当初壊滅的で、自分でさすがにやばいとなったので、授業前3日間ずっとパワポやって、仕上げたから当然と言えば当然というかむしろそうでないとやばいというか、実務だったらクビレベルだけど。

まあ、足りてないから自分の時間をつかったまでで、やっとスタートラインに立ったくらいなのでむしろここからもっと頑張らなきゃいけないのだけど。

一つのきっかけというか、嬉しかったこととして、受け止めてまた次頑張ろうと思います。

社会のことをなんも知らなすぎてやばいということで、最近は授業内で気になったこととか単語に関連することを調べるようにしているのだけど、年金のことについて調べていた時に気になった、終身雇用と退職金のこと。

そこで気づいたのは、結局世の中に溢れるメッセージは社会制度とか人々を取り巻く環境で作られるもので、なんだかそれってちょっと悲しいなと思ったのである。

というか、そんなことにも気づいていなかった私が悲しいのであるけれど。

人の言動は結局環境要因によるもので、あたかも自分の内から発せられているものと思いがちだけど、なんだか最近はもう自分の考えとかもオリジナルとかじゃないよな、結局どこからかのコピーや潜在記憶なだけだよなと。

そうなると、あれ生きている意味や自分である理由とか意義ってなんだっけみたいになる。

でも決してネガティブな感じではなく、だったらもう適当でいいよな、みたいになる。笑

どこかで特別であらなきゃいけない、みたいな幻想に縛られているような気もしていたから、なんだか最近は楽になった感じがして、悪くないなと思っている。

お、時間がきたので、ここまで。笑

なんの時間かはまた書きます。笑

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