あぁ、備忘録2

人生

これもおそらく2年前か。

指導者としての勉強の一環として読書を始めましたが、苦手な小説に手を出してみました。笑

職場の同僚にすすめられて、読んだ一冊。
住野よるさんの「また、同じ夢を見ていた」
見終わりました。やっと。
やっと、というのは、2回読んでやっと理解できたから。笑
本が悪いんじゃなくて、私の小説を読む力が著しく低いからですw
なぜか、めちゃめちゃ重要な一文とか単語を普通に見逃してしまうw
今回、その謎が解けました!
なんか、速読みたいに読んじゃってるから?
基本自己啓発本とか実用書っていうのかな、そういうものしか読まなくて、
あまり小説に興味がないんです。
興味がないし、なんかうまく読めないし、って思ってたから
あまり自分からは読むことがない小説。
でも、人としての感性を磨くというか、やはり芸術に触れるということは大切なことだと思うので、挑戦はしてみました。
結論、私の場合はジャンルによって読み方(文字の追い方)を変える、っていう方法を取らなければいけないんだなと今回学びました。
そう思うと、ふと子供の頃の経験が蘇ってきました。
小学生の頃、公文に通っていました。
5年生の時には、成績優秀者の集いみたいなのに参加したのを覚えています。
たぶん国語かな、小学校5年生だけど、中学校3年生の内容をやっているから、的な感じだった気が。
で、なんか国語の読解問題って、全部を読む必要はないじゃないですか?
最初から一言一句読んでいたら、テストの時間終わっちゃうし、だから設問に対して、文章を読み解いていく、みたいな順序だと思います。
しかもその文章の読み方も、その物語に入るってよりかは、設問のキーワードを探して、その周辺をあさっていく、てきな、どちらかといえばデータ処理に近いような、作業。
私はそういう文章の読み取り方しかしてきませんでした。
だからそれが習慣というか、根付いていたと思うと、今まで私がうまく小説とかを読み取りづらいなってなんとなく感じてたことが少し腑に落ちる気がしました。
昔から本を読んでると、文字だけ追っていて、ふと気がついた時に全体の流れが全然入ってないことに気がついて、もう1回何ページも前から読み直して、
やべ、全然覚えていない、ということが多々。笑
自分でも今書いていて、やばwって思うけど、
読解問題を解いているときと同じような作業、であることには納得。でもそもそも設問がないから、理由もなく文字を追っているだけ。

だから無駄な時間を過ごしてる気持ちになって、本の良さもわからないし、だから小説なんてつまんなーい。てきな。

自己啓発とか実用書は、たぶん自分の中に解決したい設問があるから、読解問題を解くための速読方式になっても、ある程度読めている感覚になるのかな。

そう考えると、教育の力ってすごい。教育というか、習慣というか。それが、たまたま私は読書だったからよかったけど、たとえばこのつまづきが仕事だったり、人間関係だったら、人生のエラーになるよなあ。

何気ないけどこういうことがありふれている世の中な気がします。あぁ、本の感想を言えたらいいんだけど、話が違う方向に。w

幸せについてのお話でした。
自分の過去にアドバイスするなら私はなんてするのかな。
ちょっとそんなことを考えて、手帳に書いてみようと思います。

感性を磨くってなんだろう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました