最近考えていること

人生

あと1週間ほどで30歳を迎えてしまう女ニートなんですけれども。

これからどう生きていこうか。やりたいことがいっぱいありすぎて困るし、いつまでも中2病みたいなことやっててもしょうがないのかなとかも思うし、普通に就職して普通に暮らしてみるのもありなのかなとも思うし、なんとも言えないところなんですけども。

最近考えていることとしては、「社会に出る」という定義について。

例えば世間知らずというけれど、どこからが世間知りになるのだろうか。世界が狭いというけれど、どうすれば世界が広いとなるのか。はたまたそれらの何が悪いのか。

私はスポーツ界にいたし、元々は教員志望だし、いわゆる世間知らず。特殊な業界にずっと身を置くであろう生き方をしてきたわけで。でもそんな生き方はなんだかなという思いもあるけれど。

でも大企業に勤めれば世間知りで世界が広くなるのか?

ていうか、どこからどこまでが世間なの?どうすれば社会に出たと思われるの?

やっぱり売り上げや数字、成果を求められることとそれに対してコミットできるかどうかなどが問われる環境にいるかどうかが大きな線引きなのかしら。

だとしたらそれを求められない業種や役職に就く方々は全員世間知らずということなのでしょうか。

そんなことを考えていて、自分の中で感じたこと。まず、世間知らずでも社会を知らなくても良いけれど、自分がその中で幸せを感じれていたり、近くの人を幸せにできているならOKということ。

そしてもう一つは、自分がいる世界が狭いことを認識せずにそのコミュニティの中で大きい顔をして、天狗になってしまったり、誰かを傷つけたりしてしまったり、否定や批判をしてしまったりするならそれは良くないということ。

どこかで私も世間知らずでそんな自分はダメだとも思っていたり、社会的価値が低いのはいけないことだと思っていたけど、今までいた環境から離れて色々な景色を見てみる(色々な景色とはなんやねんという話だけど)ことでわかったのは、自分で自分の首を絞めていたことや自分の感性に蓋をしていたこと。上記の話で言うと、狭い環境に身を置くことで自分を不幸にしてしまっていたから、世界が狭いということは私にとっては悪になっていた、ということ。

とにかく、自分を不幸にするか他人を不幸にする可能性があるから世界が狭くてはいけない、だからそうでないなら、別に構わない。

別に広い世界を知らずとも、となりにいる人を幸せにできていたならそれでいい。

広い世界でたくさんの人を幸せにしているひともそれはそれでよい。

どうせ100年しか生きれないし、長い歴史で見れば自分たちができることなんてほんのわずかだから、自分と自分の隣にいる人を幸せにできるくらいのスタンスの人がたくさんいるほうがこの世界はいいのかもしれない。たったそれだけのことなのに。

世界って難しいね。笑

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