「自分の表現方法」と出会う

人生

人間はみな自分の中に「何か」を持っています。それらはなんらかの表現方法を通して伝達可能な形にしないと他人には理解されません。それどころか、表現方法というフィルターを通さないと、自分自身でさえそれが何なのか意識的に理解できないこともあります。

中略

今もしあなたが、「誰にも伝えられない、誰にもわかってもらえないことがある」と感じているとしたら、それはコミュニケーション能力が低いわけではなく、もしかしたら「自分の表現方法とまだ出会っていないから」なのかもしれません。

ちきりん ゆるく考えよう 人生を100倍ラクにする思考法 より

本日も大好きなちきりんさんの本より。私はこれを読み、「あぁ、私は自分の表現方法がわからなかったのだ」と思いました。

アウトプットが本当に苦手で、自分の話をするのも、自分の考えを持つのも伝えるのも嫌だった。でもニートになった今私はそれにチャレンジしています。

今まで私は自分の表現方法は対人との関わりの中でしか出来ないものだとどこかで思っていたのかもしれないです。ただ他人というフィルターを通すと、解釈が変わったり、理解されないことだってある。それに対していちいち反応していたように思う。伝わらなかったら、「自分がダメだから」と思ってしまっていたのかもしれない。

昔からテレビでスポットライトを浴びるような人たちに憧れることが多かった。今だってそれはそう。俳優さん、アーティスト、お笑い芸人などは私にとっては眩しい。それは「自分をありのままに表現している」ように見えるから。それはつまり私はずっと「自分をありのままに表現して、人に認めてもらいたい、評価されたい、すごいと思われたい、特別だと思われたい、この人と繋がりたい」そんな欲求があったんだと思う。

でもちきりんさんの本を見て、表現方法の違いなだけで、みんな同じことをしている。たまたまテレビという媒体がそう見せているだけで、世の中の人はみんな何かを通して自分を表現している。そんなことに気づくまで30年近くかかってしまった。お恥ずかしい。

だから最近エンターテイメントの見方が変わっておもしろい。脚本家のすごさ。「あぁ、この人の叫びや想いがこんな風に表現されてんだ」そんな風に思って、すごみを感じて、深みにハマっております。

しかもドラマは自然に目に入るエンタメとして、それが世間に与える影響や力がすごい。そういうエンタメを通して国民が何かが強化されることもあるんだろう。めちゃめちゃすごいと思ってしまう。

学生時代は何も考えずにドラマを見ていた。好きなドラマのシーンが大人になった今でも鮮明に記憶に残っているというのは本当にすごいことだ。

漫画にはあまり興味がないけれど、こないだスラムダンクを見て思ったのは、現実ではこんなキャラいないかもしれないけど、みんな本当はこんな風に自分を表現したいって思ってる。そんな心の叫びを表現してくれるものがあって、そこに自分を投影するから、その作品を大好きになって、勇気をもらって、憧れて、真似して、でも現実は全然違くて、夢破れて、みたいなことがあるのかなと。

ファッションもそうで、自分の表現方法であり、鎧なんだ。

そう考えていくとすべてがおもしろい。自分が何に反応しているのか、なぜ反応しているのか、自分の内なる声に耳を傾けられる今がおもしろい。

ニートになって、お金もないし、予定もないけれど、なんだか今まで生きていた世界とは違った感覚で世界を見れている自分がいることが楽しくて、おもしろくて、たまらないのです。

ずっとこのままではいけないけれど、ニートになってよかった。まだなんも形にできてないけど、そう思える。さぁ、今日もバンバン自分の言葉をアウトプットして参ります!

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